町田市原町田にある町田天満宮にある、町田天満宮にお参りしてまいりました。
そこまで大きくないものの地元人に愛され、町田駅から徒歩圏内の立地も合わせて市内で参拝者の多い神社です。
アクセス
町田天満宮(まちだてんまんぐう)
住所:〒194-0013 東京都町田市原町田1丁目21−5
電話番号:042-722-2325
最寄り駅:JR横浜線、小田急小田原線町田駅 徒歩10分
受付時間:10時〜16時
駐車場、駐輪場が境内にあります。こちらは参拝者の方は無料になります。
※ お正月三が日や例大祭、毎月1日(1月・11月は開催日変更)の骨董市などの行事により、駐車場が使用できない場合があるそうです。
※七五三時期の土日は駐車場が満車になるそうです。駅近ですので近隣にコインパーキングもあります。
御祭神
御祭神は菅原道真公です。
菅原道実公が御祭神とのことで、「使いの牛」がただずんでいます。
なぜ、牛なのかは諸説がいろいろあるそうです。
・菅原道真公が 乙丑の年(承和12年(846年)) 生まれだからとの説
・薨去されたのが丑の日(延喜3年(903年)2月25日)だからとの説
・菅原道真公の御遺骸を載せた車を引く牛が座り込んで動かなくなった場所をご墓所と定めたことからとする説
・菅原道真公が牛を大切にしていた説
など
御由緒
谷保天神などを中心とした武蔵国の天神信仰の流布により、元応年間より菅原道真公をお祀りしていた大沢正純という者が柚木大沢村におり、京都の北野天満宮より戴いた菅原道真公の尊像を家の守り神としてお祀りしていました。子孫七代を経て大沢氏は一色村に移り住む際に、現在の本町田菅原神社の地にその尊像をお祀りし、境内地と社殿を村に寄進したのでした。
かつての本町田は現在の原町田と南大谷も含んでいました。天正10年(1582年)に原町田村が本町田村と分かれて独立しました。分村前までは原町田地区の鎮守は本町田菅原神社であったのですから、分村によって原町田地区には神社がないことになり、住民は心の拠り所を失ってしまいます。当時は農民一揆が各地で起こるなど、農民の領主に対する怒りが鬱積していた時期だけに、それに拍車をかけることになってしまったのでしょう。
当時、この地域を知行していた北条氏輝は、社寺政策によって村民を統治する方法に熱心に取り組んでいました。戦乱の時代をくぐり抜けて原町田の地に移り住んで来た開拓者等(三橋家・武藤家)と話し合い、分村に先駆けて元々古い祠のあったこの地に菅原道真公をお祀りしたと推察されます。
とにかく分村前に御祭神を替えることなく神社をこの地にお祀りすることが、当時の支配階級のとった最善の策であったと思われます。したがって、町田天満宮の起こりは天正年中の1580年前後と推測できるでしょう。
町田は度重なる大火により古い記録がことごとく焼失してしまい。明確な記録は残っていません。この神社の成立についても、町田の歴史資料による推測に留まっています。
出典:町田天満宮公式ページ
境内
本堂
本堂前の狛犬は寄進された時期が違うのかお顔がだいぶ違います。
境内社
境内社は2社あります。
出世稲荷
個性的なお顔をしたお稲荷さんです。
出世稲荷とは別に小さなお稲荷さんもありました。
ご利益
学業成就(合格祈願) 厄年祓 家内安全 交通安全 安産祈願 身体健勝
良縁祈願 社内安全 商売繁盛 店内安全 身上安全 病気平癒
旅行安全 工事安全 就業安全 必勝祈願 各種ご祈願が可能です。
菅原道真公が御祭神ですので、学業成就が多いようです。
子供の多い地域ですので七五三でのお参りも多いようです。
御朱印帳・御朱印
御朱印は達筆でバランスが良いです。菅原道真公の家紋が入っています。
御朱印は社務所でいただけます。
番号札との引き換えになりますので、ご参拝前に社務所に御朱印帳を預けましょう。
御朱印帳は汎用の物だけでした。
原町田七福神
原町田七福神 恵比寿様の像とスタンプがあります。
まとめ
天気が良すぎて写真が白飛びしてしまいました。おちついていて雰囲気の良い神社でした。屋外トイレなど細かいところまできっちり手入れされていました。