東京御朱印マップ

東京・神奈川を中心に集めた御朱印を紹介します。

山門が赤い通称赤門寺「用賀 真福寺」(東京都世田谷区)

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いつも東京御朱印マップをご覧いただきましてありがとうございます。

用賀駅すぐ側の新福寺へ参拝してきました。朱塗りの山門が目をひくお寺です。

真福寺へのアクセス

瑜伽山真福寺(ゆがざんしんぷくじ)
住所:東京都世田谷区用賀4丁目14−4
電話番号:03-3700-0614
宗派: 真言宗智山派
本尊:大日如来

最寄り駅

東急田園都市線「用賀」駅 北口徒歩6分

駐車場

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真福寺の山門横にコインパーキングがあります。

真福寺の歴史

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創建は天正年間で開山は法印宗円和尚で、開基は用賀村の開拓の功労者飯田図書(ずしょ)である。
等々力にある満願寺の末寺で本尊の大日如来は、奥沢にある浄真寺の住職の作だと言われている。
当初は実相山真如院と名乗っていたが、後に瑜伽山(ゆがさん)真福寺となり、古くから山門が赤いため「赤門寺」とも呼ばれている。
開基の飯田図書は、後北条氏に仕えており、用賀の地に住みついた後に確実に勢力をつけて、苗字・帯刀が許されたという。
享和3年(1803年)に本堂などが焼失してしまうが再建。
明治時代になり近隣の世田谷区立京西小学校が境内を借りていたこともあった。
現在の山門は昭和28年(1953年)に完成。本堂は昭和40年頃(1965年)に造られた。

出典元:真福寺 (世田谷区) - Wikipedia

真福寺の施設

山門

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赤門寺と呼ばれるだけあって鮮やかな赤色をしています。

庚申堂・太子堂

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大日堂

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御本堂

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龍の木彫りが迫力があり大変立派な物でした。

お地蔵様

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芭蕉句碑

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江戸時代後期、用賀村大山道沿いで手広く醤油業を営んでいた商人鈴木六之助(俳号天由)が建立した句碑

道の辺の木槿(むくげ)は馬に喰われけり

松尾芭蕉が貞享元年(1684)秋、野ざらし紀行の度に出て、大井川近くで呼んだ句

出典元:境内の立て看板

寺務所

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真福寺の御朱印・御朱印帳

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御朱印は本堂横の寺務所にて拝領出来ます。寺務所のインターフォンで御朱印を依頼すればご対応いただけました。

御朱印帳への直書きはやっておらず書き置きの御朱印を頂けます。
A4くらいのサイズがあり一般的な御朱印帳には貼ることができません。

御朱印帳のお取り扱いはありませんでした。

玉川八十八ヶ所霊場

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玉川八十八ヶ所霊場は、旧荏原郡・橘樹郡・都筑郡・多摩郡世田谷領の4ヶ郡からなる八十八ヵ所霊場で、明治時代初期には数多くの巡礼者で賑わったといいます。廃寺を整理し大正年間初期に札所として賑わいを取り戻し、昭和48年に現在の札所となったといいます。

出典元:玉川八十八ヶ所霊場の案内

真福寺は玉川八十八ヶ所霊場の39番札所です。

世田谷三十三ヶ所観音霊場

真福寺は世田谷三十三ヶ所観音霊場の21番札所でもあります。

まとめ

用賀駅近辺をちょっと散策した結果、真福寺、無量寺 用賀神社の御朱印が集まり巻いた。他にもいろいろな寺院があるエリアなので気軽に散策できおすすめです。